suckoflife

日常の生活を

2017/11/29


感情とか人生観とかが体調とほぼ同義になった後の話をする。


とにかく繰り返される諸行無常…蘇る性的衝動……って感じでごく限定された範囲、所謂正常値の上限と下限の間を行ったり来たりしてゆるやかに鬱屈、なんとなく軽快、気付いたら月が変わっててアラヤダ寒いじゃないのって羽毛布団を出したりなんだりして辛うじてハウスをキープ、厚手の寝衣をGUで購入して季節の移ろいを実感、多分人生の中で一番華やかであるっぽい20代をまさかこのような形で過ごすことになろうとは思いませんでした。本当に思いませんでしたか?いやうっすら予見してました。
シャレにならん程に時間を浪費してるんだろうな〜ヤベェかな?とうっすら思うもののじゃあ何なんですかね、何がお望みなんですかね自分は。自分自身は。っていうと結局この歳になっても自分自身何状態になればゴールなのか、何をしてれば満足なのか、最低限何をおさえてればオールオッケーなのか、分からなかった。隙間だらけだって喚いてるんですけどじゃあ空いた穴に何をどのように詰めればいいのかっていうと皆目見当つきませ〜んってなるんだから世話ねーな。

郊外のマンション群見てるとあのハコいっこいっこに家庭が詰まってて複数の人生が展開されてるなんて嘘だろそんなに人間いるのかよって思う。早くその中のいっこになっちゃいたいと感じる日もあるし、絶対なりたくないと思う日もある。
いまのこの生ゴミみたいな精神状態の原因、それは周期的だったり、自律されてるべき神経が乱れてたりとか?とにかくそういった理由で意味もなくイラついたり悲しんだりするのが自分の常です、本当あほらしくなってきますね。
でも悲しいかな人類、特に自分みたいな人間なんてある種そんなもんかもしれないし、感情は電気信号で、刺激に対する反応であって、分泌されるものが過剰だったり不足してたりっていう、その誤差が全てとは言わないまでも、かなり重要だったりとか。

ところで 神の子なのに腐敗した世界に産み落とされたという事実によって首が自動的に締まってる若人はわりと多く、その苦しみは正真正銘本物で、人生とは自分についての物語であり、特殊に辛い物語を生きていて、筋書きがある以上絶対に苦しむ。苦悩の章。葛藤のシーン。世界は壊れてる。生は一種の罰。死はある面で救い。てきなみたいな。
でも結局のところ現実は物語ではなく、我々が器官を有してるために認知されるものたちがあるだけで、分解していくと五感からくる快感や不快感があるだけかもしれませんね、やっぱ世界は地獄でも天国でもないです。「世界は生き辛い」もなにも世界は別に生きる用ってわけじゃないし、生は生で死は死です。君も私も楽になれるといいね。