suckoflife

日常の生活を

差別意識

最近実感していることがあって

なんとなくそうなるまいと思ってきた、
取るに足らないと思ってきた、
なぜあえてその道を選ぶのかと思ってきた、

根拠なく自分はその中の1人じゃないって、
漠然と自分にはフィットしないって思ってた、そういうひとたち

私はそれらそのものだったのだ

 

私のキャパからするに、仕事や生活や人間関係や娯楽、それらに自分のリソースを合理的に振り分けていくと、

仕事で他人に迷惑かけないためには、
生活を破綻させないためには、
最低限身嗜みに気を遣っていくためには、
人間関係を枯らさないためには、
今日も明日も明後日も安定した出力で生きていくためには、

精々、それが限界。

 


資産運用とかそういうむつかしいことは分かんないし
ネットの情報を浅く薄く摘んでみたり
安さが見てとれるファストファッション

別に高級なものが好きなわけじゃないし
美味い不味いも良くわかんないし

Amazonプライムでバラエティ番組
気付いたら何年か経っていて
髪質が変化していることに気付く


私は当たり前にそうなのだ

今更になって実感したんだ

 

 

2019/10/30

 

お元気ですか?大丈夫?

 

長い文章を書くことも、なんなら読むこともなくなってしばらく経ってしまった。

何言ってもしっくりこないし、難解な文章を読み解く気力もないし、思考が連続しなくなって、寝たり起きたり出勤したりしてはいるものの暑かった頃のことはおろか昨日の事すら覚えていないのだ。

だけど頭の中の感情の垢のようなもの、胸のあたりのもんやりした不快感は相変わらずある。気がする。だから何かで発散しようとするんだけど。でも言葉にすると絶対に間違うので、最近はもう黙りたい。

 

私は酔っ払うと例に漏れず口数がやや多くなるんですけど、その時に口から転がっていく言葉たち?の的の射り具合?普遍性?本当さ?みたいなのはかなり薄まっていて、濃度がアレなぶん量で補おうとすると紛れ込んだ不適切さ?の総量がどんどんどんどんどんどんどんどん膨れ上がっていって喋ってる時点でそれにちょっとは気付いているんだけど全然修正できないというか気付いているからこその焦燥感もヤバくて余計に本当から遠ざかっていって後日喋った相手に「あれは全部違います」とか言わなきゃいけなくなる。

でも怖いのは、酔いながら喋ったことって全部嘘じゃないんですよ。意味わかんないけどそうなんですよね、統合してくとモンスターなんだけど、要素のひとつひとつは両親が丹精込めて作った無農薬野菜…掛け値なしの本音…てか本音なんてものはない。その瞬間の心の動きでしかない。その瞬間の心の動きでもって過去のことを言葉で描き出すと全然様相が違ってしまう。でもどうにもならない。毎日毎日どうにもならなくて毎日毎日今日はもうこれ以上違いませんようにと祈っている。不毛だ。不毛だというのは違っていない気がする。

 

 

これは何回も何回も何回も何回も申し上げていることなんですけど前提として私は本当のことを伝えたい。

白でなく黒でなくグレーと言いたいしグレーの色味を詳細に伝えたいし間違いたくない。

唯一の真実は確かにあって、だから本当のことについて、ただひとつのあの時のことについて、あの日あの時あの地点そこでの現実について、事象の連続と心の動きについて、あとから思い返すものでないその時のことについて、それが本当はどうであったのか、こだわり続けていたい。

分からない。

黙りたいか喋りたいかで言うとやっぱ喋りたいのかもしれない。

この気持ちを誤解なく伝えたい。

皆さんが健やかであればいい。

言葉を尽くせば伝わるのかもしれない。

本当は誰の事も嫌いじゃない。

いずれも、言葉にすると嘘みたいになっちゃうけど。

 

 

2018/04/06

健康診断に引っかかりました。嘆かわしいことです。

健診は毎年3月後半に滑り込みで受けるんですけど、その結果が今週の頭に郵送で自宅に届いており、どうせ大丈夫だろと気軽に確認してみると要精検。

要、精検。

健診結果のランク?的には速やかに医療機関を受診して治療を受けろっていうイッッチバンヤバいやつの次にヤバいやつで、医療機関を受診し精密な検査を受けねばならなくなりました。これはイメージだけで言っていますが精検ということは、例えるなら腫瘍があることぐらいまで分かっており、じゃあそれが良性なのか悪性なのかもう一歩踏み込んで検査してみましょうみたいなことで、つまり腫瘍自体はある前提と言うか、看過できない何らかの異常は確かにバッチリあるということで、いやいやもう?もうそういう結果が出る段階なの?今の時点でこんなんじゃ今後人間ドックとか受けるようになったら色んな異常がボロボロ出まくりで絶望するんじゃないだろうか。華々しい生活とは無縁なのに早々に不健康になるなんてついてねえ、ついてるわけがねえからもちろん乗ってるわけもねえ。関係ないけど私は電気グルーヴのママケーキが大好きです。とにかく急遽半休を取って医療機関に受診に行くことにした。

で、まず近くのクリニックにきいてみたら「総合病院に行った方がいいですよ」と言われ断られた。流石要精検である。

だけど初診で大病院にかかる場合、紹介状が必要になることを私は存じておりました。前にワイドショーでやってたので。

とにかく大病院は大患者が大集まり大混乱なので、初診でいきなり総合病院とか来ないでほしい、まずは近くのかかりつけ医に診てもらって地域の診療所の範疇越えたときはじめて来なさいよ紹介状を持って。それでも絶対に初診でデカい病院にかかりたいんだったら診療費とは別にお金を払いなさいよ3000円くらい。ということらしい。それは分かる。超急性期病院に自分の身が心配なだけの大したことない病状の奴が群がったら本当に病状がヤバい人がヤバい。確か2025年とかまで医療介護の必要な高齢者は増え続けるし医療福祉システムも機能ごとに役割分担を明確にしないとパンクしてしまうのです。大変だ。

でも近くの医院に断られたので何年か前に受診したことのある総合病院に行くことにした。5年以内に該当科目に受診歴があれば3000円を徴収されないで済むらしい。相談窓口のおばちゃんが言ってたので確かなことだ。但し、再来初診の場合は予約が取れなく、大病院の予約無しでの診察は信じられないくらい待ち時間が長いらしい。それはある程度仕方がない。大病院は大入院患者を抱えており現場では日々大事件が起きているから緊急でオペとかが入る。そうすると外来患者の診察、しかも予約無しで来ている奴の診察は後回しとなる。分かる。

でも何度も言うけど近医に断られたので、朝一で受付を済ませてとにかく待ち続ける覚悟を決めて病院に行った。

そしたらドアタマで総合受付のお姉さんに「4月から医療制度の改正があり、5年以内だったらセーフだったところが1年以内に短縮されたし料金も5000円に値上がりした」という衝撃の事実を聞かされる。いや相談窓口のおばちゃんはそのこと知らなかったけどいいんかい、と思ったけど受診予定だった科の受付の女の子も知らなかったからわりと当事者たちも知らないらしい。受付の女の子に教えてあげたら「その情報、知りませんでした!!!」と仰っていた。

でももう来ちゃったし今更別のところも行けないので初診なのに大病院を受診した代として5000円を大人しく払うことにした。そもそも要精検とか言われたことでかなりビビっているし受診を延期するのは精神衛生上良くない。案の定緊急のオペが入り診察時間が読めないということで受付の女の子が別日を薦めてきたがとにかく待った。待っている間、受付の女の子が日本語の話せない異国の人の対応に悪戦苦闘している様子をぼんやり眺めていた。3時間後ぐらいに診察室に呼ばれて健診結果を先生に見せた。病変部分をカメラ?で確認するし、細胞を採取して精密検査をするよってことになった。細くて美人の先生だった。病変部分を観察してるときにアレなんか器具壊れてね?点灯しないんだけどみたいなことを仰っていた。壊れているのかよと思った。よく分かんないけどたぶん細胞を取られた。

で、細くて美人の先生は最終的に「見た限り何もないので多分大丈夫だと思うんだけど一応取った細胞を検査しようと思うし結果が出るまで1週間以上かかります」と仰り、私が「えっえっ何て?」となっている間にガンガン次回の予約の調整に入っていった。

かくして私は健診に引っかかり、病院に赴き、初診のくせに大病院を受診した代を支払い、結局パッと見何にもなかったんだけどせっかくなので細胞を取った。取った細胞の検査結果は再来週聞きに行くこととなったが、果たして……

 

 

2018/03/06

 


天気の話が好きで、理由は天気の話以外の話をしなくて済むからです。
日々労働の現場にいると皆さん気分が塞ぐのか、それ仕事に直接関係なくない?もしくは仕事に関係なくはないけどそんなのどうでもよくない?ってことについてもイチイチ自分の正当性を主張するために相手を否定するばっかりの人間が多くて、多すぎて、そういうお前らを否定してやるために私は誰にとっても正しく優しくあろうと思った。
正しく優しくあろうと思った。

思った。

思いましたけど、完全に思っただけだし、普通に無理だし、そもそも思考回路が全くの同レベルだし、俺もお前も寸分違わぬどん詰まりだねということで、そうなってくるともう天気の話くらいしかすることがなくなる。

だからどうしても上手くコミュニケートできない事務のおばちゃん相手にひたすらアイスブレイク、初対面でもないのにアイスブレイク、本題なんてないのにアイスブレイク、ブレイクさせたくないのにアイスブレイク、アイスブレイクに次ぐアイスブレイク、絶対に話をその先に展開させたくはなく、とにかく天気の話をしている(アイスブレイクという言葉は社会人一年目の一番最初の研修のそのまた一番最初に習ったような気がするけどそこはかとないダサさがあって良いなと思った)。

天気の話は良い。いまここにいる私たちにとっての共通の話題、それが天気。毒にも薬にもなり得ない。雨が凄い、風も強い、大変ですね。雪が降ってる、大丈夫ですかね。小春日和だ、いいですね。あったかくなって、春ですね。と思ったら寒くて、忙しいですね。

雪とか降ると束の間の一体感が生まれる。うぜえ仕事上の関係を一旦中断して、降雪というちょっとした非日常を目の前にしたただの2人になるのが少しだけ良いな便利だなって思う。
日常の中で見かける非日常の、都合の良さ。丁度良さ。そこに付け入る私の浅ましさ。雪が降りました。事故で渋滞が起きました。近所で事件がありました。
天気の話だけに留めときたいなって常々思ってるのに、気づくともう一歩踏み出してる時がある。

そんな姑息な私のクソみたいなやり取りに利用されてしまったおっさんがいて、私はそれについて懺悔せねばならない。
通勤途中、国道で交通事故があった。車道と歩道を分断するガードポールに黒のワンボックスが垂直に突っ込んでいて、全然意味が分かんなかった。中々垂直にはならないと思う。
運転手が車内で呆然としていて、チラッと盗み見た限りではおっさんだった。おっさんが空中を眺めてぼんやりしていた。おっさんとしても全然意味が分かりませんみたいな顔をしていた。いやお前がやったんだろとは思った。

そのまま出勤して、職場のおばちゃんと相対する。
さっきそこの国道の牛丼屋あたりで事故があったんですよ、わりと派手に車とかガードポールとか壊れちゃってて。怪我人はいないみたいで良かったですけど、渋滞になっちゃってて。っておばちゃんに報告する。朝の挨拶と共に。おばちゃんはアラマァ大変って表情まで揃えて応えてきて、怖いわねアナタも気をつけなさいよ、みたいなことを言う。あははそうですね気をつけます。そこまで言って、唐突に、あのおっさんのどんより曇った瞳が脳裏に浮かぶ。絶望してるように見えた。そこかしこに転がってる、ありふれたタイプの絶望感があった。それと同時に、目の前の現実を理解するのを心底拒んでいるようにも見えた。瞳が何も映してなかった。

電源だけ入っていて、だけどなにも映っていない真っ黒のままのテレビ画面が放つような鈍い光。
部屋の照明を落として、暗闇の中でだけ分かる微かな発光。
そうして布団に入る前になって初めて、テレビの電源が消してあったんじゃなくて画面設定が「ビデオ1」になったまま放置されていたんだってことが明らかになるんだけど、じゃあこいつは今までずっと誰にも気付かれないでどんより光り続けてたわけ?うわー。って思って何となく、変に気持ちが沈んでしまう。
生活の中でぼんやり広がる嫌な染みみたいな、そんな濁った目をしたおっさん。HDMI端子を引っこ抜かれて、何にも再生されてないときのビデオ1の画面の目をしたおっさん。

そのおっさんをつまみにして、分かり合わないで済むための生け贄にして、私とおばちゃんが繰り返す意味のないやり取り。当のおっさんは事故って人生大変だというのに。こういうのがエスカレートしていってやがて暴走したらどんな醜いことになるだろうと思い、それを想像するために目を閉じて、想像を絶したので目を開けた。やっぱり天気の話しかしたくない。

でも多分既に私もビデオ1の目をしてるし、おばちゃんだってそうかもしれないなと思う。各々が別レイヤーの世界を見ている。全員が斜め上か、斜め下を見ている。

 

 

Xちゃんはいつもちょっとふざけている

 

上手いこと立ち回ることもできず、明るく元気でもなく、理路整然としてるわけでもなかったから、生存戦略としていつもちょっとふざけている。困難な状況。絶望的な事実。自責の念。とかそういったあれこれに対して、努力しません向き合いません宣言として、いつもちょっとふざけている。接客をしながら、ミーティングをしながら、相談に乗りながら、いつもちょっとふざけている。努めて、いつもちょっとふざけている。本当に悪手だなって思いながら、いつもちょっとふざけている。

どうしようもない最悪なことも、無理矢理にでも茶化してしまえばどうってことないように思える気がした。茶化せば茶化すほど陳腐になるし嫌な湿気も取れる、なんとなくそう思っていた。そういう姑息な思考の影響っていうのは日々の生活に間接的でも何でもなくドストレートに現れて、例えば仕事で絶対に笑ってはいけない場面で案の定笑ってしまいおもくそどつかれたりした。どつかれながら思うことは、違うんです私ってばこの場を真剣に捉えすぎちゃって どうってことなくないこの状況を少しでもどうってことなくしたくって、その気持ちが爆発した結果笑っちゃったんです。そんな私の真意を知らずに貴方は真っ赤になって怒るわけだけども、それはまぁ100パー貴方が正しいね、ありがとうございましたさようなら。

ふざけてるよねナメてるよね何考えてるのって言われるたびに、ふてぶてしさを装った私の中にパンパンに詰まっている、深刻ぶった表情の、余裕がまるでない、焦りではち切れそうになった私のことを思う。

それでもいつもちょっとふざけてないと、他人事みたいに心の中で笑ってないと、明後日の方向を向いてないと私は。毎日毎日毎日毎日いつもちょっとふざけてる私は。ねえお母さん私は。私は不真面目?

って訊いたことが昔あって、なぜそんなことを問うたのか今となっては分からないのだけど、そのときお母さんは微笑んでるんだかなんなんだか曖昧な表情を浮かべて言った、アンタは底無しに怠け者だけど気が小さくて、真面目。

 

 

 

2018/01/29

なんでそんなことしたの、って言われることが多くて、その大半はなんでそんなことしたのかわからない。

なんでそんな返答をしちゃったのですか。なんでそこからそれが出てくるんですか。なんでそれがそうなるんですか。普通に考えたらそうならなくないっすか。なんで。いやマジで何でなんですかね、行動には理由があるはずなのだが。客観的にみたら完璧に無駄で、自分自身もわけを説明できない謎の動きをめちゃくちゃしてしまう。

ひとよりもできないことがかなりあったり、でも人並みにできることも少々あったり、これ以上ないくらい平々凡々、特殊な部分なんて何にもございません、気楽にそう思ってたんだけど、こんなに普通のつもりなんだけど、「普通に考えたら」がイマイチできない。マジレスすると普通なんて人の数だけあるし真実は1人分なんてそんなわけはあらへんよ。人間的とは何かな、答えの数が世の中の形です。は?

とにかく最近はどっちでも良くね?って感じの事象が多すぎる。その多すぎるどっちでも良くね?って感じの事象の前でひたすら迷っている。ある場面で、何十通りもの振る舞いの選択肢があって、AでもいいしBでもいいなーって思うんだけど、そのどれを選んだとして実質違いがなくない?そんなのどうでも良くない?って思って適当に選び取った結果の行動で無駄に痛い目みたりして、私は職種的には営業が一番近い感じの仕事をしているのだけれども御察しの通り全然仕事ができない。コミュニケーションが上手いこと取れないし時間にも追われ続けているし整理整頓はできないしいつまでたっても朝起きられないしキィーーーーーッ!!!!!ってなって半泣きでお母さんに電話、自分には幼少時から何か重大な欠陥があったんじゃなかろうかと訴えるも「怠け者寄りの普通だった」で終了した。

退勤後車で家に帰って、駐車場に車停めて、そこまではできるのに車から出て自宅のドアを開けることがどうしてもできなくて車の中で寝たことがある。寝心地はというと尋常じゃなく不快で、まず夏だったので暑いし熱中症になって死ぬ可能性があった。蒸し焼きになりかけて朝方生還したのでよかったが。面影ラッキーホールの楽曲に「パチンコ行ってる間に生まれて間もない娘を車の中で死なせた…夏」というものがありますがなんで私は生まれてかなりの時間が経っているのに誰に閉じ込められたわけでもない自分の車の中で死にそうになっているのか。理由は分からない。決して家に帰るのが嫌だったんじゃなくてむしろ早く帰りたかった。今でも運転席で完全に沈黙することは良くあって、やっぱり理由は分からない。車のドアを開けることにストレスを感じてるとも思えない。

また別の日に、取り調べ的なものを受けたことがあった(別に罪を犯してパクられたとかではないので安心してほしい)。何月何日何時頃、どこでどうして、何が起きたか。次にどうしたか。その次はどうしたか。その理由は。そのときのことを憶えているか。これは何か。根拠は。うーん、マンダム。如何に脳味噌使わず生きてきたかということですよね、行動それ自体は憶えてて説明できても何でそれをしたかは説明できない。なんとなくとしか言いようがない。相手の頭上にハテナが浮かぶ。本当のことなのに辻褄が合わない。編纂するのに都合が悪くなる。どんどんどんどん悪くなる。気まずい空気と嫌な汗。私が私でなければよかったのに。

でも言うて皆さんも意味なくストローの袋とか弄んだりするじゃないですか、みんな少しはそうなんでしょ?SF作品で「完全なる合理的思考を獲得した人間は自我というか意識が消滅する」ということが明らかになる場面があって、それは死とほぼほぼ同義じゃない?みたいな展開になるんだけど極端にいったらそういうことですよ全ての行動に明確な説得力ある理由が存在すると信じてる人がいたとしたらそれは全ての殺人には必ず殺害するに足る動機があるって言ってるようなもんでそれってわかりやすくて納得できるけど多分本当のことじゃない。てか意思ってどこからくるのかなー。よく身体は脳の電気信号?によって操作されているのです!みたいなこと見聞きするけどじゃあ身体を操作する電気信号を発生させようとする意思自体はいつどこで生まれるのかなー。とにかく人間は意味なく行動することがあるしそれは仕方ないんだからいいだろ、だけど私の場合それが度を越してて私は私が意味わかんねーよって思っています!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

2018/01/01

あけましておめでとうございます。

実家に帰省しています。

 

地元はまぁ田舎なんですけど、有名でもなく特徴もない、限界集落ってほどでもなく田舎さで推してくにもスケールが小さい、地名も微妙に難読で説明するのも面倒くさい、とにかく生まれ育った土地であるという以外に何の特別さもない土地です。

パチ屋の駐車場ばっかりだだっ広くて地元の商店街はほぼ死んでて唐突にデカいスーパーが出現して生活の大半をそこで賄う、車通りも寂しくジジイのプリウスのち軽トラ、時々bBが元気よく走ってて、たまにデカい交通事故が起きたと母親から報告を受けます。なんていうか面影ラッキーホールの歌うそれみたいな感じです。

いま私が住んでいるアパートの最寄り駅のTSUTAYAにはキャッチミーイフユーキャンが置いてなくて、これはマジで意味が分かんないんだけどとりあえずあの駅の住民はキャッチミーイフユーキャンがレンタルできない。TSUTAYA側としてもそんな観たいなら配信?サービス?で観ればいいんじゃないですか、みたいな気持ちがあるのかもしれないがいや本当に置かない理由考える方がダルいだろレオナルドディカプリオ出てるねんぞ、そんなん私の地元のTSUTAYAにもあったぞ、って思いつつ帰省したらTSUTAYA自体潰れていました。みたいな場所です。さようなら、私の中高時代の相棒、青春のTSUTAYA

TSUTAYAが相棒とか言うくらいだから中高時代の思い出といっても大したものはなく、自宅から走って5分程度の場所に中学校があったのにもかかわらず遅刻しまくり担任の先生が激怒、廊下に正座しとれいみたいなことを仰り、私が中学生の頃ですからかなり昔のことなんだけどその当時ですら「今時マジかよ」と思いながら素直に正座していた(遅刻は悪いことなので)。走って5分の立地で逆にどうやったら遅刻できるねんみたいなことみなさん仰いますけど家を出る時間に起床すれば遅刻できます。その担任の先生はのちに私が私のくせに「(カッコいいので)電車通学がしたい」と言い出したとき「マジでやめといた方がいい」と本気で止めてくれ、今ではかなり感謝をしています(結局中学校からまたさらに歩いて行ける立地の県立高校に行きました。普通でした)

 

大学生あたりまで帰省するイコール地元で多少なりとも友達と飲んだりなどすることだったし、自意識から帰省する際も服装などに気を遣っていましたけど今やそんなこともなくなり、長時間電車に乗るのはしんどいし荷物が多いのは本当に嫌、誰に出くわしてどう思われても本当にどうでもいいみたいな感じになって、昨日も動きやすさ以外の何にも気を配らない出で立ちで地元の駅に降り立ちました。

そしたら多分だけど同じ高校だったんじゃないかな?くらいの見覚えある顔の男性にエンカウントした。でももう名前も思い出せない。心底どうでもいい、どうでもいいけど、どうでもよくならない方がいいんだろうな、コレ。

私は駅前広場の中心に鎮座ましましている平和の像っぽいものを見上げ、ああ悲しいなあと思いました。